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出逢うこと(エ)


(エ)今回は、「誕生」について


「何ゆえ、生を受けたるか」

時折心中に浮かび上がる突拍子もない(しかし、どうしたって無駄とも思えない)問答の中で、始末に手を焼く類いのひとつがこれである。


答えに窮して色々の書物を開いてみると、


なるほど、
どれもこれも、至極尤もだなあと頷き、ヒントを得て分かったようなそうでないような気になり(勿論、毎度の実状は後者であるわけだが)一先ず落ち着くのである


とかく(広義ではあるが)
「しあわせになるため」
とか、
「誰かをしあわせにするため」
云々が、多数意見の様で



意志薄弱、優柔不断のために、揺らぎがちとなるであろう自身の解釈だが、
照らしてみると、、
目下、以下のようになった



その状態へ向かうには、自身の視点が要となり得ること、
他人の眼を借りて自分を眺め、その視点のまま、喜びや、楽しみを享受する際に、同じように満たされた自身の姿をその人の瞳に映し出す瞬間がまさにそれで、
この客観の視点こそが即ち自身の幸福を司る理性であり、
つまりは愛情である…



ああ辞めた



教えから学ぶにしたって、
あまり高尚な考えを、この薄ぺらな頭中に長く置いておくのは、挙動忙しない自身の生活を顧みても、どだい無理な話である。



しかし、
誰かに喜んで欲しい、楽しんで欲しいという思いは、確かに、自身の基盤として内に根を張り、その行動の大部分の核を成していると感じないわけではない。


教えと違って、未だ自身の周囲のみに気を向けるのが手一杯の案配ではあるが、

それでも自分の知る限りの方々、大好きな誰かが、今日もどこぞで、溢れる愛情の只中に暮らしていると思い描くとき、
無論、それが途方もないただのお節介であるかもしれないが、
これ程に心安らぐひとときは、
他に到底見付からない



そして
これはまあ白状すると、
前述の諸事情で、つまるところ自身の「忙しさ」のために普段ちょっと疎遠になりがちの意識なのだけど、

同じように、こちらが銘々の方から受け続けてきた、それらの感情であるとか、その尺によらず、自分の生涯のうちの、過去を成してきた、今を成す、また未来を成しうるであろう、その方々との接点は、何とも掛替えの無い、
あの問いの「答え」に繋がるではないか




「貴方がいたから…」
などと言い出すのは、如何にも月並みで、チープな聞えだが、

想起するにあたって、まさしくそうとしか思えない場面場面を発見するにつけ、


思いやりの心とか、おだやかなやさしい気持ちをいつでも引き起こしてくれる、


多数の先人達の教えるとおり、この様な感情こそが人の幸せの在り処である

としてみると、


出逢った方々が世に生を受けたその特別な日にも、最大限の感謝を感じないではいられぬものである、



殊に本日と明後日は、続けざまにそこへ該当する日となり、


えらく長い前置きみたいになったけれど、


二人の幸せが、この自分の幸せさ、


二人がもたらしてくれた、あたたかな想いを、
いつまでも二人に贈ります

何だってうまくいくよ

誕生日おめでとう(*^_^*)

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一途

Author:一途
ロマンチスト

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